2010年頃に、神奈川から益子に引っ越す家に、もともと住んでいたのが、いろのみの磯部さんでした。僕は益子の、その家での暮らしを「家電のある、原始人の暮らし」と呼んでいました。
家を背景に自分たちを撮った年賀状を見て、「こんな家で暮らして、涙が出てくる。」という言葉を聞き、少し驚いた。その頃の僕は、望んでそういう暮らしをしてみたいと思っていたけど、なかなかの家なんだな、と思いました。朝起きると洗剤もカチコチに凍っているし、冬はいくらストーブをつけても、2度以上、上がらないし。冬は家電の力も及ばず、ただの「原始人の暮らし」になっていた節もある。
磯部さんは、「家電のある、原始人の暮らし」をしていたという、同じ釜の飯的な関係。あの家に住んでいたというだけでも、多くのものを共有している気がしてくるから不思議なものだ。
その家の中には磯部さんが作ったものも多く、今でもたまに思い出すのは、キッチンからお風呂に水を引くために使われていた竹筒。風呂場に蛇口が無いので、お風呂の壁に穴をあけたこところに竹筒で風呂場まで水を送り、キッチン付近の(つけるのにコツがいる)ボイラーで、お湯を沸かす。
友達が遊びに来て、お風呂に入っている時に、こっそりと水を出し、背中に水が急にやってきて「冷やっ」という、子供のような遊びに興じることができたのもあの竹筒のおかげだ。
演奏会が「ブリコラージュ」と名付けられて、頭に浮かんだのは益子の家の竹筒でした。なぜかは分かりませんが、あの竹筒のことを書いてみたいと思いました。そんなイメージを思い出しつつ、演奏会を楽しみにしています。