我が家で活躍中のグラス。良く見かけるイッタラ社のカイ・フランンクのデザインのもの。
買ったのは骨董市である。
それまで、イッタラショップなどで見かけても、あまり惹かれなかったのだが、
骨董市で見かけた時は、まったく素晴らしかった。
古いものにまみれて、転がっていたグラスは、なんだか凛とした、存在感があった。
古いものに埋もれたくても、埋もれないのだ。
グラスだけがなんだかその場で立ち上がって見えた。
まったく、今まで何をみていたんだろう、我が節穴の目。
しかし、言い訳を言わせて貰えるならば、イッタラショップの
あのカラーバリエーションの中で、フラットな目をもてるだろうか?
見え方という事を改めさせられた事件だ。
そしてかの杉本博司は、自身の作品の出来をみる為、
作品の横に~の大仏などを、置いてみるらしい。
おそらく、作品の耐久年数を確認しているんだと思う。
いろんなモノには、賞味期限みたいなものがあると思う。
耐久年数を迎え撃つ最高の武器は普遍性というやつ。普遍性。
大学時代よく「普遍普遍」と口走っていた。
いつしか言わなくなったのは、普遍性との戦いに敗れたからだろう。
そっりゃそうだ、手強い相手だもの…
しかし、今は普遍をよく考えたりする。
第二次普遍戦争である。今回は気長に戦うつもりである。
そして、この戦いに備え、~の大仏が欲しい。
どこかに落ちてたら、有難いのだが…
もちろんそんな簡単には落ちてないだろうから
とりあえずは、このグラスを横に置いてみよう。
と、思ったりする。
2010.11.9
第二次普遍戦争
2010.11.9 |
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