工房を出て少し歩いたところに、
大きな木が一本。御神木ではないらしい。なぜだか近くの小さな木が御神木との事。
そこに年末に祝詞をあげる、小屋がある。
折に触れて思い出す事がある。
去年のこと。
地域のみんなで火を囲んでいて、
ネコのおじちゃん(と僕は密かに呼んでいる)が
「ここには昔、松が生えとった。え〜松じゃった。」
と言う。
そばにいたYさんも
「あれは、え〜松じゃった。」
そこにいた、80歳以上の方々は遠い目をし、
しばしの沈黙。
ふっと思い出したように、ネコのおじちゃんが
「そういえば、○○子さんは今何しよるんかの〜。」
○○子さんの行方を知っている人が
「今は○○しよるんよ。」(僕が覚えて無い)
「ほーか、まだ生きとるか。○○子さんは可愛かったの〜。」
とネコのおじちゃん。
多分○○子さんは、ネコのおじちゃんが恋した人で、
一緒にはならなかったんだろう。
なんとも無いやりとりだったけど、
それから今はなき松のことをたびたび想像してしまう。
今はなき、松の木の下で遠い昔に、
若き日のネコのおじちゃんと○○子さんが一緒にいる姿を想像する。
Nick DrakeのPaddling in Rushmereって曲を脳内でBGMとして流しながら。
松の話をして、恋した人を思い出す。
いい松だったんだろうなぁ。見てみたいなぁ。
こんな事を考えていると、とっても幸福な気分になっていたりする、
今は亡き松の木に幸福感を与えてもらうことがあるんだなぁ、
っていう、おじいちゃんの松の話。