そう言えば、夏休みの宿題は、ぎりぎりでこなしておりましたもの…
という訳で、参考館についての写真を選びながら、
これは、伝わらないだろうな…と思った。
やはり身をその場にを置いて感じる事が、参考館の本質なのであろうが。
それでも、分からない、なりにも提出するのが、宿題の性。
100点じゃなくても提出さえすれば、廊下に立たされる事も無い…
という0点意識&言い訳からレポートを始めたいと思います。
それでは、参考館の写真(たくさん)を載せますので、
ゆっくりご覧下さい。それでは、参考館の門から写真は始まります。















さて長々とご覧頂きありがとうございます。
何か感じましたでしょうか?
おそらく写真になると感じる事は難しいですね。
参考館フリークの僕でも参考館の記憶を参照する事しか出来ません。
という訳で、初めての参考館で感じた事を、つらつら書きたいと思います。
初めて参考館に行ったのは3年前の事。その頃は設計会社を退職し、
鞄の工房で修行中の頃。
参考館に行く前にある方から「古いものを見なさい。」と言われた。
正直、骨董市にも足しげく通い、古いものを見ていたのだ。
そんな事があり、参考館に行った。
気持ちが良かった…なんだか分からないけど、眠たくなった。
なんでこんなに気持ちが良いのか分からなかった。
けれども、設計という場所で感じてきた違和感みたいなものが
分かった気がした。僕はモノを作る時、頭でモノを考えていたのだ。
その場所の事、その場所の歴史や風景や、そこに住む人の思いや、
そんなモロモロを見ず、考えず、平面図を眺め、それこそが
僕が考える、唯一の要素だったのだ。そう考えると、寂しくなった、
悲しくなった。
参考館は人の手の入ったものでも、気持ちが良い。
山と藁葺きの家、門や、置物や、大壺が自然と調和している。
きちんとその場所に向かい合い、身体で感じて作っているのだ。
そして「古いものを見なさい。」と言われた意味が分かったような気がした。
結局の所、僕は古いものを見るにしても、デザインという限られた見方をしていたのだ
と思った。表層の素材や形などを面白いと言って見てたけど、何も見てはいなかったのだ。
そしてこんなものが作れるんだと、モノを作る意味が見えた気がした。
それまで「無い方が良い。」というのが口癖の僕には、モノを作る意味が
分からなかったのだ。(もちろん経済活動なんだな、みたいなニュアンスでは
理解していたが…)
益子参考館は、展示されたモノもすばらしいが、その参考館自体を濱田庄司は
伝えたかったのではないだろうか。
僕にとって、物を作る意味が見えた場所。
行く度に、まだまだだ、と思うものの、目線の先には、そんな世界が広がっているのだ。
ありがとう、参考館。
そしてその帰りの車中は、ホント怒っていたっけ、勝手に
目に見えるプロダクトを見つけては、気持ち良くない、と。
車中を共にした、友人には悪い事をしたと思う。
感動したかと、思うと、次は怒りに満ちあふれている、
ほんとややこしい性格(単純とも言いますね。)ですまない。
長々となりましたが、参考館レポートです。
これを読んで、参考館に興味を持って頂けたら嬉しいです。
それでは、宿題を終えた子供のように、遊びに行きたい所ですが、
今は夜。おやすみなさい。